2005年 07月 17日

Pride & Prejudice

世間的には悪者扱いされがちで、偏見を持って見られる「プライド:Pride」。
英語では、しばしばSelf-esteemと同義で扱われ、「うぬぼれ」や「高慢」だけでなく、「自尊心」とも訳される。

私はというと、プライドの高い人が好きです。そりゃあ時々ドギツイことも平気で言うし、うわぁ「高慢」と思うことが無いわけではないけど。でも、プライドが無い人よりずっと好き。人に嫌われるプライドの高さっていうのは、中身がちゃんと伴っていないからだと思う。もしくはプライドがあっても徳が足りない。きちんとした裏付けあっての「プライドの高さ」は、「誇りの高さ」と同義。誇りが高いのは、人を見下すためではなく、人より精神的に一段階成熟した場所で、人間社会を見つめるためだと思う(←これ自体ムカツクと言うならどうしようもないけど)。自分に、家族に、自分の人生そのものに誇りが持てなくて、どうやって充実した人生を送ることができるのか、と思う。

生まれもっての性質・教育方針・持っている経済文化的資本等などによって、プライドの高さはまちまちになる。プライドの格差とでも言おうか。それが普通なのに、日本社会は、戦後に建前上「フラット」な社会であるとしてきたから、プライドの高い人が生きにくい社会になったように思う。一歩間違えば「イジメ」の対象にすらなるくらい。私の知っている誇り高き友人達の中にも、義務教育時代うっかり地元の公立学校に通ってた人には相当苦労をした人達がいる。プライドの格差を見せ付けられると、一気に妬みや嫉みの対象になるものだ。だから、うっかり居場所を間違えると、プライドが潰されてしまう危険がある。私自身は、そもそも育った環境のせいでそれ程プライドが高くなく、さらに訓練で表面的なプライドをコントロールできるようになったから何とかなったけど。

私の好きな「プライド」が潰れようとするのを見ているのは、辛いしとっても悔しい。それに勿体無い。物理的なことではなく、もっとずっと精神的に上の場所で生きられるはずなのに、そしてそう出来るだけの物を持って生まれているならそうすべきだと思うのに。全力でプライド潰しにかかられたら、徳の高さだけじゃ回避できない。守れるものなら、私が守ってあげたい。けど・・何もできない。もう見せかけでプライドを守るだけじゃなく、本当の意味でちゃんと自分のプライドに沿った生き方をしなよって言うことくらいしか出来ない。

居場所を間違えて、輝きを失いそうな人を見ると、どうしても何とかしたくなる。大切な人達ならなおさら。さぁどうしょう。
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by philosophia_nash | 2005-07-17 13:00 | Work


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